お客さんの声を聞きすぎると、ブランドが薄くなっていく

お客さんの声に耳を傾ける。要望には、できる限り応える。商売の基本であり、誠実さの表れです。実際、そうやって信頼を積み重ねてきた会社は、お客さんとの関係も深く、リピートにも恵まれています。その姿勢自体は、間違いなく財産です。

ただ、その誠実さが長く続いた会社に、ある共通の現象が起きることがあります。「あれもできますか」に応えて、サービスが増える。「こういう商品はないの」に応えて、ラインナップが広がる。一つひとつは正しい判断の積み重ねなのに、ふと気づくと、自分たちが何屋なのか、説明しづらくなっている。商品は増えたのに、選ばれる理由は薄くなっている。お客さんの声に応えれば応えるほど、ブランドの輪郭がぼやけていく。この逆説には、はっきりした構造があります。

声に応えるほど、輪郭が消えていく構造

経営学者のクレイトン・クリステンセンは、優良企業が衰退する構造を研究し、興味深い指摘をしています。顧客の声に熱心に耳を傾け、その要望に忠実に応え続けること自体が、企業を身動きの取れない方向に導くことがある、というものです。既存のお客さんの声は、基本的に「今の延長線上」の要望です。その声だけを頼りに進むと、会社は少しずつ、誰にでも応えられるが誰の記憶にも残らない存在へと向かっていきます。

お客さんの側から見ても、同じことが起きます。行動経済学の「選択のパラドックス」が示すように、選択肢が増えるほど、人はかえって選べなくなります。要望に応えて広がったラインナップは、お客さんにとっては「何を選べばいいかわからない棚」になっていく。そして以前の記事で書いたとおり、似たものが並んだとき、人は価格で比べ始めます。声に応えた誠実さが、めぐりめぐって価格競争の入り口になってしまうのです。

聞くべきは「要望」ではなく、その奥の「困りごと」

では、お客さんの声を聞かない方がいいのか。そうではありません。これも二択ではなく、聞き方の問題です。

クリステンセンが晩年に提唱した「ジョブ理論」という考え方があります。人が商品を買うのは、商品そのものが欲しいからではなく、自分の生活の中の「片付けたい用事」を解決するためだ、というものです。お客さんの声は、いつも「要望の形」でやってきます。「こういう商品を作ってほしい」「この機能を足してほしい」。でも、その要望は、お客さんなりに考えた解決策の一つにすぎません。本当に聞くべきは、その奥にある困りごとです。

「なぜ、それが欲しいと思ったんですか」。この一つの問いで、声の解像度は大きく変わります。要望をそのまま実行する会社は、お客さんの数だけ広がっていきます。困りごとを掴んで、自分たちの強みで解決策を設計し直す会社は、軸を保ったまま深くなっていきます。声は、従うものではなく、翻訳するものなのです。

応えるかどうかは、ブランドの軸が決める

要望の奥の困りごとを掴んだら、次に必要なのは、応えるかどうかの判断です。その基準になるのが、ブランドの軸です。自分たちは誰のために、何のためにやっているのか。その軸に照らして、この困りごとは自分たちが解決すべきものか。軸に沿うなら、全力で応える。沿わないなら、丁寧に断る。断ることは、お客さんを軽んじることではありません。自分たちが本当に価値を出せる場所を守ることです。

以前、高くても選ばれる会社は「どんな仕事を断るかを知っている」と書きました。お客さんの声への向き合い方も、まったく同じ構造です。すべての声に応える会社は、優しい会社に見えて、実は誰の記憶にも残らない会社に近づいていきます。声を深く聞き、軸で選び、選んだものに深く応える。その繰り返しが、輪郭のはっきりしたブランドを育てていきます。お客さんの声は、ブランドを薄める毒にも、濃くする栄養にもなります。分かれ目は、聞く量ではなく、聞き方にあります。

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